「平成最後の」というフレーズが、なんというか恥ずかしいというか、ばかっぽく感じるのは私だけだろうか。
「平成最後の年末(近所のスーパーのチラシ)」なんて、明らかにおかしい用法だと思うんですけどね。
平成にこだわるあまり、有効期限3年の公文書に「平成33年」とか書かれていたりする奇妙さもあるのだけれど、そもそも私は「平成」だけでなんとなく違和感とか、居心地の悪さを感じるのだった。
「昭和」も「21世紀」もダメなんだけど。「ゼロ年代」とかも。20世紀少年だからか。
でも、それとはなんかちょっとちがう「平成」のダサさ。
30年間。そんなおさまりの悪い世界で生きてきた。
私らは恥辱の中に生きている。
そんな「平成最後の宇宙大戦争」。
戦争は不要だが、宇宙大戦争は必要だ。
「平成最後の」は不快だが、宇宙大戦争の前につくと愉快だ。
ここからは、いろいろ問題のある用語を使用した文章となっております。
2018.12.21みちのくプロレス後楽園ホール・宇宙大戦争#13「ザ・グレイテスト・ボヘミアン・ガチ星オブ・セクシーズ」。
みちのくプロレス25周年。その歴史の半分以上、宇宙大戦争をやっているのか・・・
(ついでに、最後に「僕らもう41ですよ」と言ったバラモン兄弟も、人生の3割くらい宇宙大戦争をしているわけです)。
この長いタイトルのとおり、ここのところ、年末にムーの太陽「ザ・マスター」ザ・グレート・サスケ選手が選ぶベスト映画のインスパイア・・・と、化してきている感のある宇宙大戦争。
私は平成最後の今年後半はほとんど映画にもプロレスにも行けない生活なので(その中で12月のチョイスは宇宙大戦争だ。あたりまえだ。地球の危機なんだから)、この4本、どれも見ていないのですが、たぶん宇宙と関係のある映画は一本もないと思われます。ガチ星の星もちがうし。
イチイチつっこんでいると話が進まない。しかし、話をどんどん進めるようなものではないし。
「宇宙大戦争とは「ザ・マスター」率いるムーの太陽とみちのく正規軍の大人数タッグマッチ。凶器その他の使用可、場外カウントなしのほぼノールール。毎年の時の人に扮した正規軍が、地球を侵略しようとしているとされ、ヒール側である」
と、説明しても仕方ないんですが。
そんな平成最後の「時の人」はフレディ・マーキュリー、的な「LGBTたろう(エルジービータロウと読む)」。
まずいだろう、それ。今、少数者の権利とか差別撤廃とか、そういうのが平成最後のトレンディで、ぶいぶい言わせていたこの平成最後の一年なのに。そのパイオニアでもあったフレディの生き様が、QUEENを知らない平成最後の若い世代にも熱狂的な支持を集め、平成最後の大ヒット上映中・・・らしいよ?それが平成最後に地球を侵略する悪でいいの?
しかも「グレイテスト・ショーマン」ってバーナム&ベイリー・サーカスでしょ。私の若い頃、昭和の時代にはさ、トッド・ブラウニングの「フリークス」でしたよ。それがよもやの平成最後の感動ミュージカルとなって突如復活とは。
そんなマイノリティの尊厳を高らかに歌いあげる「This is ME」に乗り、(ゲイ雑誌Badi提供の)レインボーフラッグを誇らしく振り回しながら、ヒゲ女GAINA、デイジーヒルトン1号、ヴァイオレットヒルトン2号、そしてほんとにミゼットレスラーである(元ミニマスター)チビクソプリティ将軍、さらにひとりだけ「バトル・オブ・セクシーズ」つまり#Me Tooなテニススタイルのヤッペーマン3号選手(名前は変わらず)。
このメンバー、平成最後の1年としては、めっちゃヒーローだから。悪の軍団呼ばわりしてよかったのは昭和の時代までですから。
でも、そこをつっこんでいると話が進まない。
いきなりプリティ将軍が「おまえらこれまで障害者をいじめやがって」とムーの太陽をなじり、「3号に対してDVできんのか(これは誤用。女性に暴力を振るうという意味なので、セクハラが正しい)」と、実際にDV事件を起こしているゴージャス松野選手に対して挑発するという、笑いが凍るようなマイク。
「こいつ(松野さん)はできんだよ!」と(アストロ球団の格好をした)バラモン兄弟の発言で、いきなり松野選手が3号選手をいじめるというスタート。
ほら、もう、展開が世間的にまずい、まずすぎる。
だが、ふと考えてみると、プロレスというもの自体が、もともとサイド・ショーの中から出てきたものではないか。
昭和の時代には八百長だ見世物だと言われていたのが、現在の新日本を主体とした明るいプロレスブーム。
「フリークス」から「This is ME」へ。
しかし本来のプロレスのいかがわしさ、アンダーグラウンドゆえの自由さ、それこそが非日常性への扉だったのではないか。
そういえばバラモン兄弟は、今どきのプロレスブームをまっこう否定で「プ女子なんてだめだ」と言い切っている。それで女子に人気があって売れっ子って、ずるいが。
そして、彼らの自伝としてはシャム双生児として生まれ、宇宙サーカスに売り飛ばされてなんとかかんとか、という生い立ちが。
そんな昭和なアングラな(ほんものの)双子が、平成最後の明るい双子(のような他人)と対決。なんか名場面だ。
あとは、いろいろまずいことや危険なことがあり、最終的にフレディ、じゃなくてLGBTたろうが、「たろう違い」で、なおかつ平成最後の万博である太陽の塔と化して出現し、おそらく宇宙大戦争開戦以来初、平成最後となるマスターの和桶攻撃成功であっさり破壊され、平成最後の宇宙の平和は無事守られたのでした。
これはこの世のことならず。宇宙では、地球の常識は反転する。
そしてこの宇宙規模の矛盾が、地球の矛盾を照射する。
ホモとかオカマと言わないで、LGBTと呼びましょうというグローバルスタンダードは差別を解消するの?
#MeTooと言って拡大する女性の権利はどの方向を向いているの?
パラリンピックはよくて、ミゼットプロレスはいけないの?
オリンピックはよくて、プロレスはいけないの?
戦争はよくて、宇宙大戦争はいけないの?
宇宙大戦争は世界一、宇宙一平和な戦争、といわれています。大矛盾。
「戦争は平和なり」といえば、ジョージ・オーウェルの「1984」ですが、これも「1948年に想像したディストピアだから、ひっくりかえして1984年の話」。
悪性リンパ腫を公表した欠場中のフジタJr.ハヤト選手は「今日は自分の話しに来たんじゃないし」と、挨拶もそこそこに宇宙大戦争のすばらしさをひたすら語り、ついには復帰後の参戦希望まで匂わせました。
「これを見なくちゃ、俺も癌と闘えねーし」。
希望は、戦争。
ハヤト選手だけじゃなく、みんなの、苦しかったりいろいろあったりするとき、希望とは、グローバルな世界が「これですよ」と提示してくるもの(だけ)ではない。ほんとに苦しいときこそ、そんな出来合いの希望ではなく、宇宙大戦争とか、そういう壮大な想像力が必要なんじゃないだろうか。
悪いけど、これまで知らなかったQUEENの「時代に早すぎた」フレディの生き様に平成最後に初めて触れて感動してるよりも、当時「あんなオカマの気持ち悪い音楽が好きなんて」と差別されながら聞くほうが、きっと希望としては強い力を持っていた。グローバルではない、自分が探しあてた希望。
生まれてくる時代が平成最後なのは選べないことだから、仕方ないけど。
矛盾は希望。反転は希望。
「こんな平和な戦争があるってことをみんなに教えてあげてほしい」と、ハヤト選手が言いました。
そしてマスターと、このためだけに会場入りしていたリッキー・フジ選手、味方冬樹リングアナによる平成最後の「Livin’on Prayer」で幕。QUEENはどこ行ったんかい。